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731部隊とHIV感染 [歴史への旅・明治以後]

日本でのHIV感染・エイズは血液製剤から始まった。血友病患者に投与した血液製剤にHIVウイルスが含まれていたからだ。危険を知りながら売り続けたミドリ十字という会社の悪質性が問われ、さらにこの会社に731部隊関係者が多かったことが知られている。人体実験をいとわない残虐性から、さもありなんと思われるのだが、どういった経緯で731部隊がHIV感染を引き起こす血液製剤に結び付いたかは、あまり語られていない。ミドリ十字に731部隊関係者が多かったのは偶然ではない。

戦争での兵力の損傷は敵の弾に当たるだけではない。日清戦争の統計が明らかにされているが、戦死1417名に対して戦病死が11894名もある。体力を消耗した状態で伝染病に罹患することが多かったからだ。伝染病は敵の弾より怖かった。だから清涼な飲料水を確保して防疫に勤めることは作戦上きわめて重要なことであった。そのために軍隊には軍医部とは別に防疫給水部が置かれた。

陸軍は20余の師団の集まりを方面軍としてまとめ、そこに軍医部とか情報部とかいった直属の部隊を置いた。普通、師団長は中将、直属部の部長は大佐かせいぜい少将である。ところが関東軍の防疫給水部(731部隊)の長・石井四郎だけは中将であり、師団長並みの階級を持っていた。軍医のトップ、軍医総監と同じということになる。

なぜ石井だけが中将なのか。実は石井が率いていたのは、各方面軍を横断した生物兵器・細菌戦の秘密組織なのである。残虐な細菌戦は国際法にも違反しており公然とやるわけには行かなかった。戦局不利な日本軍は生物兵器、化学兵器に活路を見出そうとしていたのだ。関東軍防疫給水部は隠れ蓑に過ぎない。

裏組織が形成され、実際には各方面軍の防疫給水部は石井が取り仕切っていた。一般に731部隊と言われるが、南方軍の9420部隊や南支邦の8604部隊も石井の配下だったのだ。各地の防疫給水部を連絡する役割は軍医学校・防疫研究所にあり、ここで石井の秘書的な役割を果たしていたのが後にミドリ十字の社長になった内藤良一である。

731部隊の隊員は戦後、細菌戦や人体実験などの証拠を隠滅して内地に戻ったが、戦犯を逃れるために組織的な連絡を続けた。内藤は経歴的には731部隊に属したことはなく、英語に堪能だったのでGHQに入り込み、細菌兵器の調査にかかわることになった。内藤を通訳としたサンダース中佐らの調査は731部隊に筒抜けになっており、石井らは追及の手を逃れた。翌年にはトンプソン中佐らが調査して731部隊の存在などが明らかになったが、内藤の工作で結局731部隊は戦犯にならなかった。研究資料との引き換えで取引されたのではないかと考えられている。

防疫給水はどの軍隊でも必要であり、極東米軍でこの任務を担ていたのは406部隊だった。406部隊が731部隊に結びついたきっかけはジフテリア禍事件だろう。近年、「ジフテリア禍事件----戦後史の闇と子どもたち」(かもがわ出版)が出版され、このことが初めて明らかにされた。伝染病地帯に上陸する事になった米軍部隊の防疫のため、早急な予防接種が必要になった。米軍の要請に答えて、治験なしで早急な予防接種薬の製造を引き受けたのが戦犯を逃れた731組織だ。人体実験で培ったチフス防疫で実績を示し、当時まだ日本では作られたことのないATPジフテリア予防接種薬を作ることになった。

このジフテリア予防接種薬が84名の子供たちを殺したのがジフテリア禍事件である。世界最大の予防接種事故でありながら、事実は長らく隠蔽されてきた。「日赤医薬学研究所」というのが製造会社だが、所長は病気休職、副所長は日赤の医師で非常勤といった具合に実体がない。「日赤医薬学研究所」の実質は731組織が担っていたのである。

接種薬には原料病原菌を「北京系」と表示している。731部隊の作山阮治中佐が終戦間際に中部方面軍司令部に移動しているが、この時ジフテリア菌、チフス菌を持ち帰ったと思われる。中部方面軍管轄にあった大阪八連隊の兵舎は一時米軍が接収したのだが、返還された。ここに「日赤医薬学研究所」が設置され、元731の技術者が集められた。日赤を冠しているが実体は赤十字社との関連はない。

仕掛け人作山阮治の名は「日赤医薬学研究所」発足後すぐに見られなくなっているから、あるいは死んだのかもしれない。その後は、むしろ予防接種を実施した京都府衛生部や京都微研、厚生省予防局が主導していたようだ。ジフテリア禍事件の経過をみれば、これらが互いに連絡を取り合っていたことが明らかである。接種薬の製法は米軍406部隊を通じて伝授されたはずだ。ここに米軍406部隊と旧731部隊の関係が生まれた。

事件発生後、残留予防接種薬のかなりの部分を406部隊か接収している。GHQ文書には49本の接種薬が本国に送られたことを示す電文がある。その後406部隊は朝鮮戦争に備え日本から朝鮮半島に移動した。朝鮮戦争では、飲料水は空輸されるようになり、防疫給水の任務は薄れ、変わって輸血が406部隊の中心課題になった。輸血用の血液を確保するために日本にも血液を買う組織を作ることが要請された。

406部隊からの要請に答えて京都府衛生部、京都微研、日赤医薬学研究所の面々が集まってできたのが「日本ブラッドバンク」であり、その中心になったのが内藤良一だった。一般医療としても輸血が多用されるようになり、売血が盛んになった。しかし、血を売って生活する貧困者に頼った血液採取は品質が悪く、感染事故も起こり、やがて禁止されて、今では献血が制度化されている。

日本ブラッドバンクは、売血で集めた輸血用血液を利用して血液製剤を作るようになり、「ミドリ十字」と社名を変更した。「ミドリ十字」は731部隊によって生まれ、人体実験をもいとわぬ残虐性も引き継いだものだったのである。これが、731部隊から血液製剤へ、さらにHIV感染被害という流れの来歴である。
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コメント 2

はな(どこまでいきる)

コメントをありがとうございました^^

『戦争の歴史』一回読みました。
なぁんだこんな簡単な事かと思いながら
TVとか 街頭演説とかをしている政治家の人たちは なぜ こんな風に解りやすく説明して下さらないのだろうかと・・

話し合いが大切だという事はだれにでも解りますけれど それで解決できれば どこの国ででも どんな小さな争いでも 全部なくなりそうだけれど・・・

それが出来ていない。

ずっと以前に 731部隊の事を書いた本(日本が戦時中なにをやったか?生きている人間をも 実験材料にして)も 読みましたが 
なぜか その後 詳しい話を聞いた記憶がありませんでした。

戦争においても
『日本国憲法の先見性は、改めて評価されるだろう。 』の日が
いつ来るのでしょう・・・

何さつかの本で 「日本国憲法は アメリカ人が 戦前の日本人魂を叩き潰すために作ったものであるから すべてが正しいわけではない」と読みました。

戦後のどさくさ?の あまりにも短い時間で 作り上げなければいけなかった日本国憲法は やはり 冷静に見直さなければいけない個所も あるのではないでしょうか。

私には 解らないことばかりですけれど・・・・



by はな(どこまでいきる) (2017-10-19 22:01) 

おら

<a href=http://yabunira.blog.so-net.ne.jp/2010-05-03>「戦争の歴史」</a>へのコメントですね。話し合いでもめ事を解決するのも簡単ではありませんが、昔のように戦争ですっきり解決するということは無くなったことは確実です。もはや戦争は役立たずなのです。
by おら (2017-10-22 20:59) 

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