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古事記と日本書紀のなり立ち [歴史への旅・古代]

記紀の成り立ちを考える前提として文字の使用がいつ始まったかが重要であるが、これに言及する人は少ない。文字を獲得した国家が最初にやることは自らの正当性を担保する歴史の編纂である。記紀以前にも何らかの書物があったかもしれないが、そう古いものではなかったはずだ。政権は長期にわたって勝手な歴史記述を許したりしない。

文字の使用が本格的になったのは500年代の末だと考えられるが、断片的な記録としては雄略期にさかのぼることもあり得る。日本書紀が巻14の雄略記から書き始められていることは、近年の文体研究ではっきりしたと言える。それ以前の部分がβ群であり、雄略記はα群に属す。これまでも、雄略記は古い儀鳳暦を使い、その前の部分が逆に新しい儀鳳暦になっていることや、巻13に巻14の引用があったりすることから、日本書紀は雄略記から書きだされたとは言われてはいた。

日本書紀の執筆が雄略記から始められた理由は、想像でつなぎ合わせたものであったにせよ、それがおそらく当時さかのぼることのできる最古の伝承だったからだろう。それ以前はまったく資料がなく書きようがなかったのである。神代から雄略までは、β群として、後代に政治的に付け加えられた完全な創作神話であると考えるべきだ。

日本書紀によれば、歴史書編纂は681年に天武天皇のもとで開始された。川島皇子・忍壁皇子を筆頭に大臣級の編集委員を定め、中臣連大島と平群臣子首を執筆担当者に指定して始まった。しかし、当然、資料不足だから順調には進まなかった。持統天皇の代、691年には、18氏に対して、氏族の墓記を提出させている。各氏族はそれぞれに先祖の業績を伝えていたからだろう。それらは、互いに矛盾する内容になっていたであろうし、まとめるどころか、更なる混乱に陥ったにちがいない。

その後、歴史編簿がどうなったかの記事は日本書紀にはない。続日本紀には720年の記事として、舎人親王が歴史書の完成を報告したことが書いてある。30巻物であるから、これが現在伝わる日本書紀であることは間違いない。39年を費やしたことになる。39年というのは、、天武天皇から命ぜられた人々が、そのまま完成させたと考えるには長すぎる年月だ。

続日本紀には、713年に諸国の風土記を撰進させたことが書いてあり、714年には紀清人と三宅藤麻呂に国史を撰する旨の詔が下されている。紀清人は五位の下級貴族、三宅藤麻呂は七位の下役人である。下役人の名が歴史書に出てくるのは珍しい。この二人が編集の実務担当者であった。八世紀になって仕切り直しで新たな編纂が始まったことになる。これが720年の史書完成につながった。

史書は一つではなく、もう一つ古事記がある。古事記の方は、その成り立ちを序文に書いており、やはり天武天皇が命じたのが発端であるとしていて、712年元明天皇の時に、稗田阿礼が「誦習」していたものを、太安万侶が校閲して四ヶ月で完成した。歌謡なども入れて物語風になっている。書紀よりも八年早く完成したことになる。大筋では両者の記述は、似たようなものだが、表現には大きな違いがあり、言葉使いはことごとく違うと言っても良い。

この二書の関係が大きな謎である。国史編纂を同じ時期に二つも命じるというようなことが、あり得るのだろうか。八年前に完成していたはずの古事記に、日本書紀は全く言及していない。続日本紀にも古事記に関する記事は全く出てこない。古事記の編纂については、序文で語られているだけで、他に一切の歴史記録がないのである。

こういったことから、古事記偽書説というのが古くからあり、賀茂真淵が言い出している。日本書紀には九世紀の写本があるし、完成直後から宮中での講義が行われているのに対して、古事記の写本は一番古い真福寺本が1320年であり、完成から600年後のものだ。完成から百年も経ってから弘仁私記に初めてその存在が記述された。百年もの間、読まれた形跡がないのだ。

古事記の序文というのは内容的には上表文になっており、用命天皇にこの書物を献上した経緯が書いてある。四字句や六字句を多用する華麗な文体(四六駢儷体)であるが、これは、文選などをお手本にしている。最後を「誠惶誠恐、頓首頓首」で結んでいるが、これは進律疏表にある唐の儀礼言葉で、日本では平安時代に用いられたのだから、712年ではおかしい。

こういったことが、古事記は後世に書かれた偽書ではないのかと疑われた理由だ。しかし、だれが何のために上中下三巻の大作の偽書を作ったのかが理解できない。筋書きとしては、日本書紀とほとんど同じであり、何か別の事を伝えようというものではないからだ。稗田阿礼とか他の文書には出てこない怪しげな人物の口承であるとか、五位の下級貴族に過ぎない太安万侶が著者だということも、国家事業らしからぬ経緯だ。しかし、太安万侶の墓碑が見つかり、編者の実在性が確認されるに及んで、偽書説は勢いがなくなっている。

決定的なのは、上代特殊仮名遣いである。古くは日本語に八種の母音があったことが知られているが、これは徐々に消えて行き、現代の五母音になった。音の違いで漢字を使い分けることが行われたが、古事記本文は、日本書紀よりもはっきりと使い分けが行われており、特に「モ」に二種あることがわかった。古事記のほうが、古い文章でなければならない。序文だけは、後から付け加えられたものであると考えるしかない。

(1)古事記本文、(2)日本書紀α群、(3)日本書紀β群、(4)古事記序文というのが執筆の順序ということになる。同時代に二つの歴史書が進行したという矛盾を解決する解釈として、古事記は日本書紀編集の途上で書かれた下書き、あるいは草稿であった考えるのが妥当だ。

歴史の書き出しは世界の創生から始まるのだが、各氏族にはそれぞれの信仰や伝承があり、一致することは難しい。政権は氏族連合であり、お互いの思惑や利害を協議しながらの執筆には時間がかかる。下書きのようなものをまとめて行ったのが古事記の原型である。その事務局を担ったのが五位太安万侶と稗田阿礼だった。実際の文章は呉音表記に長けた百済人などを動員した。

神話の調整に手間取る間にも、文字の普及は進み、様々な記録が生み出されるようになってきた。統一見解を急がねばならない。継体期の混乱を隠し天皇の正当性を確保するために、ある程度資料もある巻14雄略記から先行して書きだすことになった。漢音表記の編年体など正史としての体裁も取り入れた。紀清人と三宅藤麻呂を新たな事務局として任命し、続守言、薩弘恪など白村江から連行した唐人に漢音表記で文章を書かせた。これが日本書紀のα群である。

α群の著述と並行して進められてきた神話部分の調整がまとまり、太安万侶たちの事務局から草案が示された。単なる草案であったのだが、これが後世古事記として世に出ることになった。万世一系で神から天皇へ続けることや、出雲系の神話も取り入れた構成にすることなどを議論し、神武天皇のあと欠史八代でつなぎ、神功皇后を卑弥呼に対応させるなどの基本的事項は承認された。武烈以降が系譜のみになっているのは、すでに日本書紀のα群で記述がなされているからである。

しかし、この草稿は古い呉音表記のものだったし、編年がなく正史としての体裁を欠いていた。だからそのままでなく、この草稿を取り入れ、天皇をさらに神格化して新たな体裁で書き直されたのが日本書紀のβ部分である。同じプロジェクトの内部での下書きなのだから、もちろん引用文献には挙げられない。草稿自体は事務局の太安万侶が保持することになった。

安万侶が下書きを保持しており、それが子孫に伝わっていった。百年後、弘仁年間に行われた歴史講義で博士を務めた多人長は安万侶の子孫である。講義の中で古事記を持ち出したことが弘仁私記に載っている。古事記に序文を付けて世に広めたのは多氏である。多人長は太安万侶が日本書紀の編集にも携わったと紹介している。家伝の書に箔をつけることが必要だったのだ。決して嘘をついたわけではない。用命天皇に下書きが提出されたことは事実だろう。

こうして日本には、記紀二つの初期歴史書が残ることになった。しかし、この影響は日本書紀の編年にも現れてしまった。中国の歴史書を見れば、紀元前にも歴史が及び、漢の時代なのに日本では天照大神ではいかにも信用が薄い。古事記で14代は名前まで決めてしまったから、天皇の数を増やすわけにも行かず、当時でも不自然であるとの懸念はあったが、寿命を引き伸ばすしかなくなったのである。神と人間の中間にある存在だから、平均在位60年の寿命も合理的と解釈したのであろう。

神武天皇の即位を辛酉年としたのは偶然だ。当時入手できるようになった暦法を引き延ばした年代にあてはめて行った結果である。干支は60で繰り返すことを元に日本書紀の年代から実年代への換算を試みている人もいるが、引き伸ばしが先にあって年代を後付けして行ったのだから無理だろう。月齢を表記してしまっているから、60年ずらすことは実際上出来ない。

世に言う讖緯説は、記紀編纂当時誰も知らなかった。辛酉革命の原典も中国文献に見出せず、900年頃になってから三善清行が作り上げた俗説である可能性が高い。三善清行の讖緯説は逆に神武即位を論拠にしているから、もし、神武即位が、辛亥であれば、辛亥革命説になっていた代物である。政争の強敵、菅原道真を追い落とすための手段だったに過ぎない。雄略以前は何の根拠もない創作神話なのである。
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